突然 「幸(さいわい) 住むと人のいふ」
sinsing です。
ここ2-3週間の生活には59歳という年齢を考えさせられることがいくつかありました。
●まずは県の美術展覧会を夫婦で見てきたこと。
驚きは、各分野で最優秀作品に選ばれた方々の作品のすばらしさはもちろんでしたが、なんと言ってもその年齢。最優秀者の多くが70歳前後の方々でした。またそのコメントが振るっている。「(力のある限り、時間のある限り)まだまだ描き続けたい」と一応にのたまわっていました。
その意欲の源、エネルギーはどこから来るのだろう……。
我が身を振り返って、はたして私の意欲・エネルギーは何に使っている?どこに行ってしまっている?
幸い、妻には絵心があるので、妻が仕事を辞めたら創作を応援したいとは思っています。では私はなにを?
私はわたしのしたいことを、心の思うままにするだけ。
それでいいでしょう。
●私も少しずつですが創作をしています。歴史についての著述です。
そこで先日、著述の参考になればと、自分としては珍しく講演会に行ってきました。
地域の古代史についての講演会です。演者も聴衆もみな私より年上の方ばかり。でもこうやってみんな学ぼうとしているんだな、と感心しきり。
いろんな意味で勉強になりました。
でも無理に勉強をすることはない、したい時に、したい勉強をする。
それでいいでしょう。
●ある同人誌を読んでいたら、30年前の職場の先輩の短文が載ってました。
定年退職して夫婦で故郷にもどって生活しているとのこと、畑作・野菜作りにたのしく取り組んでいるとのこと。
その中に共感を覚える文章あり。その部分抜粋……「最初はすべて予定を立てて生活していたが、それがストレスになり疲労となった。だから先のことはあまり考えず、なるようになるだけ、と気楽に考えるようになった」
うんうん、わかるわかると思いつつ読みました。
強い向上心や予定作りが、いつしか自分を苦しめているという感覚。
先のことを考えすぎて、今を楽しめない感覚。
わたしも先のことをあまり考えすぎず、いまの環境や日々の生活を楽しもうと思います。それでいいでしょう。
そうでないと、せっかくの身の回りの卑近な、ささやかな幸せに気づかなくなってしまうから。
突然 ある詩が……
上記を打ち込みながら突然、カアル・ブッセの詩、「山のあなた」の一節を思いだした。
「山のあなたの空遠く 幸(さいわい)住むと人のいふ…」
これを読んだのは大学生の頃だったろうか。
私自身あのころは、この詩のように、違う場所に幸福な理想郷があるからそれを探したいと思っていた。
そして長い時間、遠くにあるであろう「幸」を求めてきたような気がする。
書棚から引っ張り出してこの詩を久しぶりに読んでみた。そして……その「幸」は……
それはいま自分の目の前に、手の中にあるのかもしれないと、突如として思った。
出来すぎかも知れぬが、ほんとにたった今、詩を読み返して、そう思った。
たしかに、
夜中に何度も目が覚めてしまう、トイレに行ってしまう、そのたびに刑事コロンボ、名探偵ポアロ、相棒を見ながらでないと眠りにつけない自分。
雪下ろしで1月に痛めた右肘が半年たっても治らず、ここ2週間くらい左膝が痛く、ここ6日間軽いギックリ腰で難儀をしている自分。
いつ病気が再発してしまうかもしれない自分。
いまだに数々の過去にとらわれている自分。
無収入かつ社会的に無産者で、世の中の役に立っていない自分。
だけれども、
梅雨のちょっとした晴れ間をぬって、妻に「これからウォーキングに行こう」と声をかける自分。
8月には3人の最愛の子供たちが、久しぶりに帰省するのをソワソワと待つ自分。
読みたい本を読みたいときに読み、昼寝が出来る自分。
思うままに青空を仰ぎ、風を感じることができる自分。
大谷選手と大相撲を生中継で視聴している自分、東京オリンピックを生で視聴できる自分。
こうやってゆったりブログを書ける自分……。
それは山のあなたには無かったのです。
以上、自虐的かつ自慰的な文章に終始しましたことお許しください。
下記に 山のあなた の全文を載せます。宜しければご味読を。
みなさんの幸いはどこにありますか。 あそこに?ここに?
山のあなたの空遠く
「幸(さいはひ)」住むとひとのいふ。
嘻(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かえりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸(さいはひ)」住むとひとのいふ。
詩訳
山のずっと彼方に「幸せの理想郷」があるというので尋ねて行ったが、どうしても見つからず涙ぐんで帰ってきた。あの山の、なお彼方には「幸せの理想郷」があると、世間の人々は語り伝えるのだ。(関西吟詩文化協会 訳)
ノンフィクションとしてのスポーツ でも私は充実?
sinsing です。なかなかに麗しく、気晴らしに満ちた一日でした。
なんといっても今日は、大谷翔平を見ながら井上尚弥ボクシング世界タイトルマッチをテレビ観戦できる日。
だからなのか、朝食後のウォーキングも好調。100段少々ある寺院の階段を2回上がるルーティーンもいつもより軽やか。階段上がりを含む4400歩 約3キロのウォーキングとジョグを終えると汗も心地よく、直後の炭酸もうまい。昨日の雨が晴れ、さわやかな風の渡る晴天の一日でした。
大谷君と井上君
11時からの大谷翔平は、左翼席に流し打ちで第22号のホームランをたたき込んだ。
最近はセンターあるいは右翼方向の打球がほとんどだったが、この流し打ちは価値があったはず。バッティングの幅が格段に広がりヒットも出やすくなるだろう。大谷君、ここ5戦で5発の絶好調! エンゼルスも連勝を伸ばした。
1時からは井上尚弥のボクシングの試合。
井上は第1ラウンドで早くもボディでダウンを奪い、明らかにその後遺症が相手に残った。そして第3ラウンド。二度のダウンを奪ってKO勝利。私の大好きなボディ打ち。みぞおちでなく、得意の左打ちのボディショット。レバー直撃。挑戦者はあっという間にマットに沈んでしまった。
試合後、勝者井上と敗者ダスマリナスはお互いの健闘をたたえ、にこやかに抱き合っていた。ボクシングに限らず日本選手の試合後の姿は美しい。こういう日本人の姿がいつも心地よく、誇りさえ感じさせてくれる。
最高のノンフィクション
スポーツマンはよく「見ている人に希望と勇気を与えたい」などとのたまうが、スポーツ観戦はなんと言っても「楽しみ」と「気晴らし」のためにある。賢い人は間違っても言わないね、「勇気を与えたい」などとは。
希望も勇気をもらうことはないが、これだけは言える。「スポーツは最高の短編ノンフィクションである」と。事実の力が、短時間のなかで、わたしの心をさまざまな感情で満ちあふれさせてくれる。
とりわけお気に入りの選手やチームが勝つと私たちはヤッターっと快哉を叫ぶ。そんな心の動きは日常にはほとんどない(賭け事は除きますネ)。
2019年のラグビー日本ワールドカップでは、日本中が快哉を叫ぶという、日常ではほとんどありえない現象が起きた。そして大会が閉幕すると、「楽しみ」と「気晴らし」の時間は終わったとばかりにわたしたちはまた日常に戻っていった…。勇気も希望もなく…。
なにはともあれ今日も大谷くん、井上くん、ありがとう!!
午後は妻と買い物、それから妻とウォーキング&ジョギング。5500歩 約4キロ。また心地よい汗。買い物も含めて本日11,000歩なり。
楽しかったね でも充実?
心も身体もよく動いた一日でした。
59歳。生きている限りは、若い人は若い人なりに、老いつつある人も自分なりの愉しみのなかで充実した時間をすごしたいものだ。
しかしこの『充実』という言葉がじつにヤッカイなのである……。
なぜならお楽しみや気晴らしは、あくまでも自己満足であり充実とは呼べないしろものに思えるからなのです。
では充実とは… わたしにとって(退職した今だからそう思えるのかもですが)なにかしらの『生産』にあると考えるようになっています。
サービスでも製造でも芸術でも……なにかしらの『生産』が……。みなさんはどう思いますか?
さて皆さんの今日の気晴らし・愉しみは何でしたか?
ではまた。
生命の季節と ホトトギスの裏の顔
sinsing です。
5月から6月は日本の一年で最も美しいとき。
新緑が映え、鳥が力強くさえずり、花が咲き誇る。
雪国では、激しく命を感じるときとなります。
とくに好きなのが、クリやシイの花の生臭いような強烈な匂い。あの匂いのあとドングリが生み出されます。
またはバラ。トゲの痛さと引き替えだとばかりに大輪の花を咲かせます。
とりわけ鳥の鳴き声
そして季節の移ろいを強く感じさせるのは、ホトトギスとキジバトの鳴き声。
下記のサイトでホトトギスとキジバトの声を確認してみてください。
地方にお住まいの方はしばしば耳にしていると思います。
(サイトの中の さえずり という部分をクリックしてみてください)
私は恥ずかしながらこの歳になるまで、鳴き声と鳥の名前が一致しませんでした。
キジバトの声は、どこか懐かしさを感じさせてくれます。
とりわけ ホトトギスは…
ホトトギスは真夜中も鳴いています。縄張りを主張しているらしいです。「啼く」という語句のほうが相応しいような強く美しい声ですよね。
江戸時代の宝井其角の句 「あの声で 蜥蜴(とかげ)喰らうか 時鳥(ほととぎす)」が有名です。 確かにあの声でトカゲを食ってると思うと、ゾッともします。
また、ホトトギスは、なんとウグイスの巣に卵を産み付け、ウグイスに育てさせているそうな。 美しいものの裏側を示唆するようなホトトギスの生態です。
でも男の身勝手を言えば、鋭いトゲを持っているのを知りつつも、一度は妖艶な美魔女にそそのかされてみたい……。 これは人間の性(さが)でしょうかねぇ。
みなさんはいかがでしょう(^o^)
たった一言だった
sinsingです。
今日は近くのバラ園に行ってきました。
数百種の数百本の株が林立する見事なバラ園でした。
造園者と話すと、冬の剪定と誘引が想像以上に大変なことが分かりました。見えている結実の裏には必ず大いなる労苦があるのですね。
退職してから、作るとか生むとか育てるという言葉に嫉妬する自分がいます。
なにも生み出さなくなった自分への「責め」なのだろうと解釈しています。
その代替物として、いまはバラを植え育て、飼いネコをかわいがっています。
それも気晴らしの一つなのでしょうか。
昨日は「老害」を書きました。またぞろ、その続きになりそうです。
イギリスでは…
イギリスのジョンソン首相は56歳。
そのジョンソンが、イギリスの「ワクチン研究・開発タスクフォース」の座長として白羽の矢を立て任命したのが、55歳のケイト・ビンガムという民間女性だったそうな。
若きジョンソン首相からの依頼の言葉がふるっている。
「人々の命をできる限り早く救って欲しい」。その一言だったそうな。
ビンガム女史(オックスフォードを生物科学を専攻し成績優秀で卒業、ハーバードでMBA取得、ベンチャー企業のキャピタリスト)は、首相の明確な目標に呼応し、就任を引き受けたのだった。
その後のイギリスの驚異的な回復は巷間伝わっているとおりである。
日本ならば…
ひるがえって日本。
上記のような切れっ切れの依頼を「日本の老害」ができるだろうか?!
どうせ、「あれとあれのことを考慮に入れながら、これやこれをどうにか改善して欲しい。あ、そうそう、そのことも忘れないで!」などというのが関の山。
そして依頼のほこさきは間違いなく医学界の著名な重鎮に対してのみ。 というところでしょう。
ジョンソンの話から、イギリスの民主主義の底力と、底の浅い脆弱な日本民主主義との格差を垣間見た気がしました。
これから準決勝 はじまります
今晩もこれから全仏オープンテニスをWOWOWで堪能します。最高の男子シングルス準決勝です。
この大会で、ジョコビッチに対してイタリア・ムゼッティは2セット先取、ナダルに対してはアルゼンチン・シュワルツマンが1セット奪取。若手の見事な挑戦でした。
今宵はどんなドラマが待っているか…。
やばい。第一試合の解説はM氏だ。第二音声に変えて会場の音のみにしようかなぁ。
ではまた。
サヨナラ 老害
sinsingです。
しばらくブログをやめていた。書くことが少々重荷に感じられたから。
気楽に書くことにしよ。
だって、いろんな時間を愉しみたいから。
旅行も行けず、子供たちにも会えず… ならばこの今の時間の端端(はしばし)を愉しもうよ、と。
このブログも同じく愉しもうと。
今日は里山の低山を歩いてきました。途中に立派なケヤキの大樹があります。見上げてはいつも感嘆しています。汗をかきながら、緑の濃い空気を浴びながら、最高の気晴らし。
困ったなあ
いま日本はコロナのなかでワクチンの遅延、オリンピックの可否、政治と業界との癒着、そして経済の停滞の問題などが喧(かまびす)しい。
ワクチンもオリンピックも政治的手腕はゼロ。
ワクチン・オリンピックは一過性の問題だが、しかし、この30年ものあいだ日本人の賃金がまったく上がっていないこと、日本経済が何も成長していないこと、日本の産業が国際競争力を無くしてしまったこと、これらは我が子や孫たちの将来にとって大いなる問題なのだ。
ううっ、なんか話がまた重くなってきた。
その原因は…
ぼくはこの数年、地上波の民放テレビ番組はほとんど見ない(ワイドショーの政治問題は見る)。見る定番はBSの報道1930とプライムニュース。政治家が出演するから。
見ていて思うこと。
それは、老人がこの国の主導権を持っているようでは、前の30年と変わりの無い、絶望的な30年がこのあとも続くだろうということだ。
はやりの言葉を使えば、あきらかに「老害」である。
いまの日本を主導しているの政治家は次の5人。
菅義偉総理大臣72歳、麻生太郎副大臣兼財務大臣80歳、二階俊博自民党幹事長82歳、阿倍元総理も下村博文政調会長も60代後半。
ぼくは50代後半から、自身の大きな変化を感じるようになった。それは……新しいことに対応する気力が失せていったこと、だ。
みんなが同じだとは言わないが、多かれ少なかれ「変化への反応」「初めてのことへの意欲・関心」は歳と共に衰えるに違いない。
経済も産業も、政治環境も、すべて変化している。産業では常に新しい事象が生まれては消えていっている。最近で言えば半導体、デジタル社会、あるいは脱酸素。
古い知識と経験で対処できるはずがない。なにより、学ぶ力の失せた脳味噌、先を読む力の失せた脳味噌で対処できるはずがない。
変化を求めよう
せめて60歳代前半までが活躍する日本であって欲しいと思う。
たとえば佐藤正久衆議院議員60歳や林芳正参議院議員60歳などは、広く世界や日本を考え、先を読み考える力を十分に持っている。科学的でもある。
報道1930やプライムニュースでこの二人が話す内容やビジョンを聞くにつけ、こういう政治家にこの国を主導して欲しいと心から思う。できれば40代~50代に主導して欲しい。そして心から、老害は去れ、と思う。
そしてわたしたち
「民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば」とはチャーチルの名言だが、最悪の選挙民を有する国家の民主主義は、おそらく独裁政治よりも劣悪な政治となりうる。
つねに老害を選出してきたわれら選挙民の民度がいま試されている。
あ、でもテニスのフェデラーやナダルにはまだまだ頑張って欲しい!(^o^)
ブログを気楽に書こうといった冒頭の言葉とは裏腹に、堅い、意固地な文章を書いてしまった……。反省。これから全仏オープンテニス 準々決勝 ナダル(スペイン)VSシュワルツマン(アルゼンチン)が始まります。絶対王者に対して小さな新鋭がどう戦うか…。楽しみです。
ではまた。
今日の気晴らしは、坂とニュースと出産?
sinsingです。
今日は気晴らしに、妻と自転車で2.5キロ先の図書館へ。それから海沿いを走り、結構きつい坂を上がって公園でジョギングとストレッチをして帰宅しました。坂を自転車で上がるのは、息も切れ、心臓もバクバクしてしまい、60前後の夫婦にはちょっと怖いです。でも体力増進のため、とりわけ私にとっては血糖値対策と肺機能の改善のために、今後もがんばろうかなと……。坂を上がり終えたときの頑張った感と心地よい汗は何よりの気晴らし-愉しみ-になっています。
ひどいニュースのオンパレード
ひどいニュースが多すぎです。いつかまた書きたいと思いますがたとえば…
・40年経過した福井の原発を再稼働させるとのこと。 40年経過の劣化したコンクリートや鉄筋が、今後予想される大地震、津波に耐えられるわけがない(なぜか関係者は問題ないと言い切っている)。計器も古すぎて有事に対応できないだろう。福島も古い原発だったのである。この国は昭和時代から時間が止まってしまっている……。
・我が地域でも75歳以上のワクチン接種の予約が始まった。だがすべて電話予約のみ。どの接種会場や医院が、どの程度予約が集中しているか、あるいは空いているかなど、まったく情報はゼロ。ネット上の情報ゼロだから効率的な予約が出来ないのです。高齢者の子供たちが予約を手伝っているのだから、ネット情報をもとに予約が出来れば、確実に集中を避けられ、効率的な接種が出来るはずです。この国は昭和時代から時間が止まってしまっている……。
・大阪で医療状況が逼迫している。大阪の患者を、遠い東京で受け入れようか、などという馬鹿げた話まで出ている始末。なぜ近隣の医療機関と連携して患者の分散化を果たそうとしないのか。国土が狭く、交通網が発達している日本だからこそ可能なはずの医療の効率ができない日本。やっと、鳥取が兵庫の患者を受け入れようかと言い出した。この国は昭和時代から時間が止まってしまっている……。
・インドでコロナが蔓延し酸素などの医療物資が不足している。そこで各国は支援に乗り出した。昨日は韓国も支援を表明。そして今日、やっと遅ればせながら日本も支援を表明。自由なインド太平洋構想のため日米豪印(クアッド)の協力を政治的に確かめ合ったはずなのに、その日本の支援表明が他国より遅れるとはなんという後手後手。他国の様子を見ながらでしか動かない昔ながらの日本は、今もなにも変わっていない。この国は昭和時代から時間が止まってしまっている……。
でもこの本は良い感じ
今日行った図書館のカウンターには旅関係の本が並んでました。コロナ時節です。そのなかで角幡 唯介 (著)の「極夜行」を借りてきました。
読み始めて、最初の10数ページ。ずっとまえに読んだ本のときより、著者の筆力が格段に上がってるなぁ(上から目線でゴメンナサイ)と感心至極。
この最初の10数ページは奥さんの出産シーンについてなのですが、私自身が我が子の誕生で感じた神秘や喜び、そして妻や子供たちへの愛をもう一度実感させてくれました。著者はこの出産を、「究極の光」という言葉で締めています。そしてその「究極の光」こそが、このあと続くのであろう極夜行の旅の目的でもあるというリンクを持たせているのでしょう。なんというウマさであることか…。著者が今後、北極圏で何を感じるのか、どんな苦難苦行が彼を待っているのか、楽しみです。
みなさんの気晴らし-愉しみ-は何ですか?
気晴らしをするということ~その3
sinsingです。
さて、山村修氏の著書「気晴らしの発見」の紹介をもとに、気晴らしの効用や方法をここ数回書いてきました。またぞろその続きを…
山村氏はコレステロールの悪化や不眠のもととなるもの-ストレス-を、梶井基次郎の「檸檬」の一節を引用しながら『不吉な塊』と表現しています。梶井と山村、このような表現力を見事だとは思いませんか。1925年(大正14年)1月1日発行の同人誌に代表作「檸檬」は発表されます。梶井は大正時代にまさしくストレスのことを表現していたのです。
体に起きる変化
みなさんのなかに『不吉な塊』はありませんか? ときにその塊が胸の中に、あるいは胃の中に重く沈み込んで動かなくなることはありませんか? そうなったとき、わたしたち人間の体に大きな変化が生まれ始めます。体に起きる変化について著者の山村氏は「トム氏の実験」という挿話を引いています。1950年ころのアメリカ、コーネル大学での話。
9歳だったトムは、あるとき熱いクラムチャウダーを飲み込み食道に大変なやけどを負った。腹部に穴を開けて管を通し、直接胃に食物を送るような手術を行った。しかし手術はうまくいかず、トムの腹に開けた穴からは胃の粘膜が露出し、観察できる状態になってしまった。その後、亡くなるまでの15年間ずっと。
叱られて萎縮したとき、トムの胃の粘膜は白くなるのが観察された。怒りを感じたとき、トムの胃の粘膜は真っ赤に腫れ上がり、胃液の量も急増するのが観察された…。
人間の体とはなんと悲しいものなのでしょうね。気持ち一つで体が勝手に反応してしまう。内臓が反応してしまう……。 わたしなぞは、呼吸が浅くなる、冷や汗が出る、胃の強い不快感、夜中の覚醒などなどの変化があっという間に現れてきます。みなさんにはどんな変化が現れますか?
だからこそ
だからこそ現代人はこの「不吉な塊」-ストレス-を、自在に操る術(すべ)を持たないと、心の健康も体の健康も保てないのですね。みなさんも苦しくなったら山村修氏の「気晴らしの発見」を手に取ってみてください。ストレスを操るための何かしらのヒントが得られるのではと思います。
山村修氏は有名な書評家でもありました。私自身は『禁煙の愉しみ』『遅読のすすめ』『気晴らしの発見』で、その博学に驚き、そのやわらかな筆致に感銘し、そのテーマ・内容から多くの示唆をいただきました。残念なことに氏は2006年8月、癌のため56歳で亡くなりました。若くしてのご逝去、さぞかし無念だったことと思います。ご冥福をお祈りいたします。
世の中は
世の中は大型連休に入りました。遠く離れている我が子らはどのように過ごしていることでしょう。コロナで帰省はできません。心配であり、近況も含めていろいろ聞きたいところでもありますが、「大学を卒業した後はなるべく干渉せずに」のモットーのもと、黙って音信を待つこととします。
わが地域では田植えの準備が真っ盛りです(今日は雨ですが)。数日前のウォーキング途中の写真をアップします。早期退職した我が身には、多くの方の働く姿がまぶしく見えてしまいます。