sinsingです。
年末から正月にかけて子供たちが帰省。家族全員がそろうのは2年ぶり。
悩みは抱えながらもそれぞれ一生懸命やっているようだ。親は見守って、たまに声をかけてあげるだけが良いようだ。
2022年がはじまった。一年の計は元旦にあり。
なんの計画も目標も掲げなかったわたしの令和4年に大きな発展はなさそうだ。
なんの計画も目標も掲げなかったわたしの令和4年に大きな発展はなさそうだ。
ただ、小さな勇気は忘れないでいたい、と思う。
思いだすこと
ふとしたときに脳裏をかすめる、若き日の、苦い、二つの出来事がある。
ひとつは1980年ころの東京。大学1年生のことだったろうか。
電車待ちをしていると、背の高い年上の白人女性が近づいてきて、●●●駅にはどうやったら行けるか? と英語で尋ねてきた。
英語は理解出来た。だが東京新参者のわたしには、その駅への行き方がよく分からなかった。
そのうえ、ALTも居なかったその時代、外国人と話した経験もなかった。
逃げたくなった。
逃げたくなった。
I don't know. I'm sorry.
とわたしは言い捨て背を向けると、彼女はホームを去って行った。
高校・大学と英語は得意教科だった。
もうひとつもやはり東京。1984年ころ。大学4年だったろうか。
大学のサークルメンバー9人で飲んでいた。東急東横線沿線の大きめのバーだったと思う。
しばらくすると突然、近くで飲んでいたらしい背はとても低いがガッチリした一人の大学生が
「俺は東工大の学生だ。おまえたちが気に入らない」と言いながらテーブルに割り込んできた。
「俺は東工大の学生だ。おまえたちが気に入らない」と言いながらテーブルに割り込んできた。
するとこっちの仲間のA君(身体も大きくなく、運動も苦手)が
「なんだよ邪魔するなよ」みたいなことをその男に言うと、
間髪入れず、そいつはA君の頬をガツンと一発殴った。
「なんだよ邪魔するなよ」みたいなことをその男に言うと、
間髪入れず、そいつはA君の頬をガツンと一発殴った。
A君は、「何するんだよ、痛いじゃないか」と頬を押さえた。
男は去って行った。
A君は頬を押さえ、あとの8人は「ひでぇヤツだなぁ」などと口ごもるだけで、ただ眺めていた。
わたしたち9人は野球サークルの仲間で、スポーツを愛していた。
二人の男と正義
○ 2022年1月23日お昼頃、JR宇都宮線の車内で、シートに寝転びながらタバコを吸っている若者を注意した高校2年の男子高校生が暴行され、さらに駅のホームでも土下座、暴行され、右の頬を骨折させるなどの重傷を負った。
男子高校生は同級生と4人でいて、容疑者に「たばこやめてくれませんか」と注意し、容疑者が顔を近づけてきたので押したところ、10分以上殴る蹴るの暴行を受けたという。
周りには多くの乗客がいた。
○ 2022年1月24日まで、中国の最高学府である北京大学のもと教授 鄭也夫(ていやふ)氏(71歳)が、SNSを通じて声明を公表していた。
中国内の知識人が、台湾政策に公然と異議を唱えるのは異例だった。
鄭さんは、いまどうなっているのだろう。
正義の心や良識をもつ人は多いが、変化のためには行動する勇気が必要だからだ。
しかしこの勇気を発揮すると、それは時として
蛮勇
となってしまいかねない。
蛮勇
となってしまいかねない。
正義にもとづく勇気ある行動を蛮勇にさせないためには……。
●その行動に賛同する100人の小さな声があれば、それは一人の勇気ある行動に匹敵する。
●1万人の小さな声があれば、100人の勇気ある行動に等しくなる。
●同じ方向に向かう100人の勇気ある行動が集まれば、社会に変化が起きる……。
が必要なんだと思う。
つまるところ要諦は、わたしたち侏儒の一声なのである。 ※侏儒(しゅじゅ)=こびと
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40年前の白人女性とA君は、あのときの事を思い出すことがあるだろうか…。
今年は寅年。わたしは年男。還暦を迎える。
虎のように強くはないが、せめて侏儒の一声をあげる勇気をもてるようになりたい。
今年は寅年。わたしは年男。還暦を迎える。
虎のように強くはないが、せめて侏儒の一声をあげる勇気をもてるようになりたい。