気晴らしのススメ

男60歳が、書くことで気晴らしと記録を。そして読んでくださる方のささやかな気晴らしにもなればと。

飛ぶ夢 -時間を飛ぶ-(2)

sinsingです。

山田太一の小説『飛ぶ夢をしばらく見ない』の主人公は、時間を飛んだ。
前回同様、今回もわたしは沢木耕太郎のエッセイ集 『チェーン・スモーキング』の力を借りて、再び時間を飛びたい…。(前回は母の記憶に飛びました)

親孝行は済んでいる -生きる理由-

沢木耕太郎は、タクシー運転手の話をきっかけに、「塀の中の懲りない面々」の一節に引用する。(『チェーン・スモーキング』単行本68-71p)

 

「あのな、親孝行なんてことも、しないだっていいということさえ、誰も知らんのだ。
 親孝行なんて、誰でもとっくに一生の分が充分すんでいるのに、誰も知りもしない。
 誰でも、生まれたときから五つの年齢までの、あの可愛らしさで、たっぷり一生分の親孝行はすんでいるのさ、五つまでの可愛さでな

 

わたしsinsing もすでに独立した3人の子供たちに思いを馳せる。

3人が家を巣立つまでの子育ては簡単なことではなかった気がする。”親は背中で教育”、なぞともいうが、そんなに立派な背中をわたしは持ち合わせていない。
当時はさほど意識はしなかったが、たしかに子育てにも生活にも奮闘していた
だが当時の奮闘の対価はちゃんと子供たちから返してもらってる気がする。

なぜなら、わたしの「いまを生きる理由」が簡単なもの-「子供と妻が生きているから」-になっているからだ。

あまりに簡単で、それ以外に思いつくことはできないほどだ。
だから、さきに引用した一節はある意味正しい。
親孝行なんかいらないよ、きみたちが生きてくれてるだけでいいんだから。とわたしには思える。

でも忘れてしまうんだ

しかし「五つまでの可愛さで親孝行がすんでいる」、と言えるかどうか。

もちろん可愛かったさ。3人とも。
でも、こうも言うだろ? ” どんな辛い失恋や死の経験も、その苦しみは時間が癒やす” と。時間がすべてを流してくれるんだって。

とすると、可愛かった子供たちの記憶も薄らいでいく、ということになる。
実際そうなんだ。この世でもっとも芳(かぐわ)しい赤ちゃんの匂い。やわらかな肌。子ども時代の天真爛漫な笑顔と声。その子独特のちょっとしたクセや仕草。共有したはずの幸せな場面の数々…。

それらは時間とともに遠くにいってしまう
薄らぐことを予期してたくさん撮っておいた大量の写真やビデオ。だがそれは二次的なものにすぎない。本物の実感としてのそれはもう手に入らない。戻ってこない。

孫が可愛い、というのは疑似体験できるからなのだろうね。あのときが戻ってきたと。
だが孫を抱いても、3人の実感は取り戻せない。
だからわたしは昔の写真やビデオを見返せないでいる。戻れないという事実の怖さに直面したくないから。

だから、飛ぶ夢

時間を飛びたい。飛び越えてもう一度実感したい。もう一度触れたい。あの可愛らしさに。
そしてなによりも、可愛がってあげたい。自分の持てるすべての時間と力で、3人それぞれの子を可愛がってあげたい。

そのころは可愛がっていると思っていた。
だが、その可愛らしさに応えるだけの愛情を注ぎ続けていたと言えるか、俺は。
様々な後悔がよみがえってしまうんだ。

だから…

過去の時間へ飛ぶ力をください。そして10日間をください。
そしたら3人の子を思いきり可愛がってあげたい。その可愛らしさへの恩返しをしてあげたい。

子供たちよ、生きてくれてるだけで親孝行は済んでるよ。
ただ、俺からの子供孝行がまだだったんだ。もっともっと出来たはずの子供孝行が。

 

みなさんはこんなふうに時間を飛びたくなりませんか?
小さなお子さんをお持ちの方は、たくさんたくさん可愛がってあげてください。後悔を残さぬよう。すべての記憶は薄らぐものだから……。