気晴らしのススメ

男60歳が、書くことで気晴らしと記録を。そして読んでくださる方のささやかな気晴らしにもなればと。

3つのオリンピック

sinsing です。

東京オリンピックが終わり、暑すぎたこの夏も終わりました。
今日は8月下旬。昼はセミが鳴くが、夕方からは虫の音も。秋を感じる時間が増えてきました。
史上最低とも思えたオリンピック開会式は、ドタバタの日本をあまりに正確に表していました。ですが期間中、日本選手たちの活躍は見事でした。そのなかでもとくに印象に残った人々を振り返ってみたいと思います。

その1 ふたりの執念

 みなさんの記憶にも強烈に残ってませんか? ソフトボールアメリカの決勝戦での渥美万奈選手の超ファインプレー
 日本の2点リードで迎えた六回、一死一、二塁のピンチだった。この回途中から救援した後藤が、3番打者に強烈なライナーを浴びた。三遊間を抜けようかという打球は、三塁の山本がはじいたが、それを空中で遊撃の渥美万奈選手がとっさにキャッチ。間髪入れず二塁に送球し併殺に仕留めた。

 考える間もなくキャッチして投げたこのプレーこそ、月並みだが、日頃の鍛錬のたまもの。厳しい緊張感の中での反復練習なくしてなしえなかっただろう。

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左:宇津木妙子 前監督  右:宇津木麗華 現監督

 これを可能にしたのは-厳しい練習をさせ続けた-宇津木麗華監督その人。 
そしてこの監督を鍛え育てたのが宇津木妙子 前日本代表監督(オリンピック中継の解説者)である。
 厳しいことで有名な(とくに高速ノックは有名)宇津木妙子が、1988年中国で「任彦麗(にん・えんり)」(当時24歳)を見出し、猛反対する父親を説き伏せ日本に連れ帰った。日本名宇津木麗華を名乗ることとなった任彦麗を名実ともに日本の中心選手に育て上げた。その後監督の座を麗華に譲り、二人でいまの日本ソフトボール界をつくりあげた。
 宇津木妙子が1985年に現役引退しジュニア日本代表コーチに就任してから数えること36年。この二人の女性の、人生をソフトボールに賭けた執念が、決勝の渥美万奈のファインプレーを生み、金メダルを生んだのだ。あのコンマ数秒の奇跡のうらに30年あまりの血のにじむような二人の人生を感じた。

 

その2 ひとつを極める

 スポーツに限らず、なにか一つのことに専心し秀でている人には興味と魅力を感じる。一般的には職人とか専門家とか呼ばれる。いわゆる「極めた人」だ。
 職場でも、社会においても居ますよね、これはあの人に任せれば間違いない、これがやれるのはあの人しか居ない、ぱっと見は普通だけどあの人あれがすごいのよね、って人。他のことの能力はさておいても、一目置かれます。
 オリンピックのメダリストたちは多少の差はあれ、みんなそれぞれを「極めた人」であることは間違いない。

 今オリンピックにおいて、わたし的に「職人の中の職人」は柔道女子78キロ級金メダリスト 浜田尚里(しょうり)だ。

 寝技師として知られ、今大会も磨き上げた寝技で全4試合、オール一本勝ち。試合時間は合計でわずか7分42秒という圧勝。「寝技は自分を助けてくれる」。男女を通じて柔道で日本勢最年長金メダリストとなった30歳の遅咲き選手である。海外勢からはその寝技は“アリ地獄”として怖れられていたらしい。一度はまると抜け出せない、という意味だろう。
 寝技習得の原点は無名だった鹿児島南高時代にあった。地方高校が全国で勝つには寝技、と寝技に重点を置いた激しい練習量をこなした。「覚えは悪かったけど、弱音を吐かずにコツコツ亀のように覚えるまでやっていた」と高校の恩師は述懐している。
 大学では寝技を必殺技にまで極めた。「寝技、関節技が『うまい』選手はいるが、浜田は『怖い』。怖いと思わせる選手は見たことがない」と評する関係者もいた。また学生時代は、後輩が恐怖で稽古の相手を嫌がったこともあった。


 寝技は「地味」である。立ち技のような一瞬の一本という柔道の醍醐味はない。花形である立ち技で勝てない選手が、自分の生きる道として習得していった寝技。じわりじわりと真綿で首を絞めるように相手を追い込み押さえ込む、あるいは関節技でギブアップさせる。
 その要諦はなんといっても「磨き抜いた技術」だろう。相手に膝さえつかせれば、あとはこうしてああして、と相手の状態に合わせて連続して攻め続ける(責める、と言った方が適切か…(^0^)。) まさしく職人芸といえる。
 その技術を体得するために、どれだけ畳に這いつくばり、どれだけ相手の胴着に顔面をこすりつけたことだろう。わたしも高校時代、体育の必修で柔道を一年間習った。寝技の暑さ、むさ苦しさ、息苦しさを多少は味わった。浜田選手のこれまでの長き毎日がしのばれ、わたしは金メダルに快哉の声をあげた。

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左:浜田尚里 選手   右:角田夏実 選手

 浜田尚里選手以外にも日本女子柔道には 角田夏実(つのだなつみ)というとてもキュートな外見の寝技スペシャリストがいる。巴投げから寝技に移行し仕留める必勝パターンを持つ。あらゆる体勢から腕ひしぎ十字固めに移行し、テコの原理で相手の腕をきめてギブアップさせるのだ。角田の試合を何度も見たことがあるが、それは芸術である
 対戦相手は十分に警戒していながらも巴投げをくらい、あれよあれよと腕を絡め取られ痛みのあまりギブアップすることに……。オリンピックには惜しくも代表補欠となり出場はかなわなかった。
 こんな、地味ではあるが、だれにも負けない職人を輩出する日本柔道は、これからもきっと前進を続けることでしょう。
(追伸:わたしはボクシングも大好きです。それも、顔面への豪快なKOパンチより、地道に相手のボディを打ち続け、体力とパワーを奪っていく選手が好きだ。パワーやスピードのある花形選手ではない選手が、ボディ打ちで少しずつ活路を見いだす姿が好き……。そんなわたしの性向が柔道の寝技を好きにさせているのかもしません。)

 

その3 恐怖とたたかう

 トランポリンの森ひかる(22歳)。2019年の世界選手権の優勝者。直前の6月ワールドカップでも優勝し、日本勢として初めてのメダルの期待がかかっていた……。期待は重圧……。

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森ひかる選手

 4歳のとき、地元の東京都足立区で、スーパーの屋上遊園地に置かれていたトランポリンに魅了された。1回7分で200円。買い物に行く母親にせがんだ。ただ飛び跳ねているのが楽しく、夢中になった。高校はトランポリンのため石川県へ。東京の実家を離れ、母とアパート住まいで二人三脚の生活がいまも続いていたという。

 迎えた東京オリンピックは無残であった。
 予選、第2自由演技の2回目のジャンプの着地点が中心から大きく外れた。一度失ったバランスを取り戻せず4本目の着地後、上半身が前のめりになり、台の外にはみ出した。あっという間のまさかの幕切れだった。

 見ていて目を疑った。大きな大会で何度も勝ってきた実力者が、跳ぶたびに中心から外れていき、まるで初心者のようについには台の外へ。
 演技後「もう、頑張らなくていいんだと思うと安心した」と彼女は語った。演技とこの言葉に強い違和感を感じた私は彼女のそれ以外の言葉を探して読んだ。
 インタビューで、「1か月前から宙返りもジャンプも跳べない日々が続いた。この舞台に立てないと思って、先生に『やめたい』『選手交代をしたい』と言った日もあった」と語った。


 これは異常ですね。最上級の選手が、「ジャンプも跳べない日」が続くなんて。よほどの重圧で、身体と神経のコントロールが効かなくなっていたのでしょう。心はイジワルですね。いままでは簡単にできたことが、心の動きひとつで身体と神経がずれていき何もできなくなってしまう……。若干の22歳。怖かったでしょうね、跳べない身体が、跳べない自分が、そして跳べないままでオリンピックの舞台に立つことが。あまりに強いストレスだったことでしょう。
 いまさら当たり前の話ですが、心が身体を変えてしまうということですよね。
 30年も前に、サルの実験の話を読んだことがあります。サルの手足を縛って水中に浸すと胃潰瘍ができはじめ、30分ほどで(2時間だったかな?)で胃に血がにじみ出す、と。
 また、このブログでも書いたことがある「トム氏の実験」。食道に大変なやけどを負ったトム君は手術がうまくいかなかった。そのため胃袋に開けた穴から食物を送り込むしかなく、結局亡くなるまでの15年ものあいだ胃が露出し観察できる状態になってしまった。叱られて萎縮したとき、トムの胃の粘膜は白くなるのが観察された。怒りを感じたとき、トムの胃の粘膜は真っ赤に腫れ上がったという……。
 ことほどさようにストレスは -心は- 身体を変えてしまうのです。

 トランポリンは、10種類のジャンプを20秒程度の競技時間の中で繰り出す。ちょっとしたミスが致命的になる競技らしい。手足へのわずかな力のいれ具合-もしかしたら足指のちょっとした力加減ひとつで全部が狂ってしまうのでしょう。その繊細な神経が、重圧で根元から狂ってしまう……。


 おそらく森選手は yips(イップス になっていたのだと思います。

 yips(イップス症状)とは---プレッシャーにより極度に緊張を生じ、無意識に筋肉の硬化を起こし、思い通りのパフォーマンスを発揮できない症状---をいいます。簡単に言うと、今まで出来ていたことが急に出来なくなることです。プロゴルファー、プロ野球の投手などどんなスポーツ選手もなってしまう可能性があるといいます。
 わたしもこれにかかりました。卓球と野球が得意でしたが、30歳前後のある時から卓球でスマッシュだけが打てなくなったのです。全然違う方向にボールが飛んでいくのです。野球ではピッチャーでした。これもある時から、ボールが思ってもない方向に飛んでいくようになったのです。わたしの場合はなんのストレスもなかったのですが……。いまもスマッシュやピッチングのときの手指の感覚は戻っていません。
 森選手の大会1ヶ月前からの激変は、このイップスで説明がつくのではないでしょうか。辛い毎日だったでしょうね。だから「選手交代したい」と…。
 森選手はその後インスタグラムで述べています

「オリンピックで輝ける選手は技術だけでなく、全てが強い人。そんな人が輝ける場所だと感じました。私はここで輝けるほど、強さを持っていなかったし、弱さが出てしまいました。…
これはこれできっとこれからの人生に生きていくはず。絶対に生かしていく!私の人生はまだまだここから!💪」 と。

 素晴らしい若者ですね。トランポリンを続けるにしろ、引退するにせよ、これから始めるオリンピック後の人生を楽しんでください!!

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 私が生きている間、二度と夏のオリンピックの母国開催はないでしょう。この大会を心から楽しみにしてました。そして存分に観戦・堪能しました。選手の皆さんありがとう。
 オリンピックという夢の世界(夢への逃避)が終わり、私たちは現実に戻ってきました。いつ果てるとも知らぬコロナ渦という現実のなかに。
 オリンピックを楽しみに待っていたときのように、なにかに希望を抱きながらみんなでこの時代を乗り越えていきましょう。

 みなさんのオリンピックはいかがでしたか?
 そして、いまの楽しみや気晴らしは何ですか?